東林山西教寺

歴代の数多くの住職・寺族・門信徒各位が、身を粉にして伝道され、宗祖親鸞聖人のみ教えを今に伝えています。

寺院情報

0972-82-2815
寺名(ふりがな) 東林山西教寺(とうりんざん さいきょうじ)
住職(ふりがな) 巖 龍彰(いわお りゅうしょう)
住所 〒879-2431 大分県津久見市大友町3-15
アクセス情報 JR津久見駅より5分
東九州道津久見IC下車8分
電話番号
メールアドレス Zvg05201@nifty.com
ホームページ
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納骨堂 有(空き無)
墓地
合同墓 有(空きあり)
駐車場 15台分
バリアフリー対応
主な行事・活動 コロナ禍でここ数年主な行事や活動はできていませんが、これから少しずつ再開する予定です。
 5月に永代経・宗祖降誕会、8月に初盆会、9・3月に彼岸会、11月に宗祖御正忌報恩講、12月に修正会・元旦会が主な行事となります。
 仏教婦人会は毎月例会をしておりましたが、コロナ禍でここしばらく休会してました。令和5年10月から再開予定です。
 雅楽の会 七龍会は、コロナ禍でも毎週第2・4水曜日午後7時から1時間半ほど練習しています。
 認定こども園白蓮幼稚園、アソカ幼稚園(臼杵市)があります。
寺院紹介 東林山西教寺は、元久2(1205)年、祐慶が津久見岩屋の地に天台宗として開宗しました。残念ながら、その後の天台宗時代約300年は資料が焼失しており、詳細は不明ですが、かなり荒れ果ててしまっていたのではないかと推測できます。なお、当時の西教寺は竹林の山中にありました。
その後、永正2(1505)年、(浄土真宗としての)初代釋慶祐(俗名岩崎兵部介源為政慶信)は本願寺8代目御門主蓮如上人に拝謁し、信心問題を論諍の後、上人に帰依、浄土真宗に改宗し、真筆六字名号を賜っています。岩崎家に関しては、清和源氏岩崎系図があり、慶祐は本来武士であり、おそらくは当時廃寺となっていたであろう西教寺に入寺し、再興したのではないかと思われます。
 (浄土真宗としての)第3世釋慶應代の天正14(1586)年、西教寺堂舎や仏像類が、島津軍により焼かれ散失しました。第4世釋慶順代には、正保3(1646)年、岩屋大友公園(丘陵地)西北側の地より約400m西側の現在地である、岩屋字名主部(なぬしぶ)に移転しています。第9世釋慶應代には、安永7(1778)年7月、現在地に移転後2回目の本堂を再建竣工しています。
 現在の本堂は、第13世釋慶哉代、明治14年(1881)年10月に移転後、3回目に建立したものです。
 歴代の数多くの住職・寺族・門信徒各位が、身を粉にして伝道され、宗祖親鸞聖人のみ教えを今に伝えています。
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